フェニックス・ツリー


1945年8月6日8時15分、広島に原爆が投下された。
爆心地周辺の地表の温度は3000〜4000度に達し、半径2キロメートル以内の燃えうるものはすべて燃やし尽くされたという。
放射能が充満し、廃墟となった街は「75年間は草木も生えぬ」と言われた。

だが、爆心地から約1.3キロメートルのところで熱線と爆風の直撃を受けたアオギリの木が、翌年の春、芽吹いた。爆心地方向にさえぎるものがなかったため、枝葉はすべてなくなり、幹は爆心側の半分が焼けてえぐられ、枯れ木同然になりながらもよみがえり、人々に生きる勇気を与えたのである。
被爆後、物心ともに悲惨この上ない状況だった広島市民は、苦しみながら、生活の再建へと立ち向かった。そして、復興したヒロシマは、世界の人々に生きる勇気と希望をもたらす「国際平和文化都市」を目指している。

フェニックス・ツリー(Phoenix Tree)と名づけられたそのアオギリの木は、その後、平和記念公園に移植され、今も原爆の被害を無言のうちに語り続けている。
また、毎年つける種子は国内外へ贈られ、多くの2世が元気に育っているという。

歴史から争いが絶えることも核兵器が廃絶されることもなく、いまだ世界に真の平和は訪れていない。
このテロと戦争の時代、争いをなくさずして核だけをなくすことは、もはや不可能だろう。核廃絶の悲願は遠のいたのかもしれない。
だが、ヒロシマはあきらめない。「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう」と1964年8月1日に点火されて以来ずっと燃え続けている平和記念公園の「平和の灯」は、たとえ風前の灯となろうとも、「希望の灯」として燃えつづける。
“忘れえぬ炎(Unforgettable Fire)”のスピリットは、人から人へ、心から心へと伝えられ、人々の心の中で“フェニックス・ツリー”が育って行くことだろう。


        2003年12月8日(月)  片山基史(かたやま・もとふみ)


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