建設コンサルタントとしての倫理とは

前島 修 (まえしま おさむ)


はじめに
平成152003)年129日、イラクへの自衛隊派遣基本計画が閣議決定された。
平成162004)年120日、人道復興支援活動という名目で
イラク南部のサマーワに到着した自衛隊の先遣隊は宿営地の設営のため、
現地で地上測量を開始した。

※ 平成182006)年625撤収作業を開始、
            77日第一陣撤収、717全員の撤収を終えた

この様子を土木技術者はどのような思いで見つめたのだろうか――。
今回の建設コンサルタンツ協会『私の意見』募集の知らせは、
あの時私の中に熱く込み上げてきたものの正体を探る思索となり、
これからの社会の羅針盤とも成り得る<価値あるもの>に仕上がった気がしている。
戦後60年を目前にして、なす術もなく立ち竦(すく)んでしまっている現状に対して
 “一筋の光”となれば幸いである。

倫理とは
映画『ラスト サムライ』の影響で新渡戸稲造(にとべいなぞう)著『武士道』がブームである。
新渡戸は、“日本の魂としての武士道”を著(あらわ)すきっかけとして、
海外で、「日本の学校では宗教教育がなされていなくて、どうして道徳教育を授(さず)けることができるのですか」との質問を受けたことを挙げているが、
それから一世紀以上を経て、今もこうして“建設コンサルタントとしての倫理”
について考えなければならないことも、根底に共通の疑問があるように思う。
「戦後、我が国は<無魂洋才>でやってきたが、やはり<和魂>が必要である。
これからの時代に必要な<和魂>とは何か」と議論されることがよくあるが、
これからの国づくりを担う立場からしてみれば、その<和魂>こそが、
<建設コンサルタントとしての倫理>に思えてならない。
そして私は、それは<平和都市建設の使命>だと思う。
被爆後、広島の復興に尽力された元市助役の銀山匡助(かなやまきょうすけ)氏
の功績から、「建設と平和」、「平和のための建設」というものが強く感じられる。
戦後の“復興のための国づくり”に建設コンサルタントがどのように関わってきたか、
ということを、いま一度振り返ってみることが大切である。
ヒロシマにとっての平和ではなく、もっと広く、
国全体としての平和都市建設に従事してきたことを再確認し、
そこから建設コンサルタントとしてのアイデンティティを発見してみてはどうか。
自衛隊人道復興支援の姿に土木技術者の姿を重ねたのは
私だけではなかったはずである。

誰のための倫理なのか
いままで“建設コンサルタントとしての倫理”が、
法令遵守(ほうれいじゅんしゅ)いわゆるコンプライアンスの類(たぐい)の議論
に終始してしまっていた現状を私は憂(うれ)えてきた。
そして、そのことが土木技術者の存在感を社会に示せなかったことの大きな要因であり、
我々の存在意義までもが問われる事態を引き起こしてしまったのだ、
と、密かに認識を深めてきた。
現代社会に誇れるほど我々の志は高くはないし、
国際社会における日本の土木技術者像も一部の限られた人達のものであり、
実際は理念だけの虚像である。
 “誰のための建設コンサルタント技術者なのか”
という<共通認識=共通理念>こそが、紛れもなく<建設コンサルタントとしての倫理>
であり、誰にとってのものではない、人類にとってのものである。
そのことを誇りとして新たに歩み始める時ではあるまいか。
そのためには、<本当の資格>とは何か、についても考察する必要がある。
無論、社会に認められることこそが<土木技術者としての資格>であるが、
シビルエンジニアは市民のための技術者なのに、
市民権を得ていないことが問題なのである。
あたかも“技術士”という国家資格取得が土木技術者の「資格」、
または土木技術者としての「証」としてきたことが、
本来の土木技術者像の姿を世に現すどころか衰退へと向かわせている要因
であることを知るべきであろう。
我々はもっともっと社会に対する意識を高め、国民と議論していく必要がある。
国民と議論していく中で、徐々に社会的役割を明確にし、社会的存在意義を確立していく。
その過程において市民権を得る、といった、
時間をかけた戦略とそこから生まれる社会的合意が必要とされている。

<平和創造事業>の推進
「本来、建設コンサルタントは暮らしに根ざした産業であるから、
時代に即したやり方で半永久的に持続可能である。経済不況下においても、
ただ“技術ありき”のみを問い続けているがために建設不況が続いている」
というのが持論である。
経済という需要と供給の世界において、<建設コンサルタントとしての倫理>を示し、
<その魂>が社会に必要と判断されれば、経済は後から付いてくる気がしてならない。
この時、公共事業を捨てて、<平和創造事業>として社会に示していくことが重要である。
 “公共事業は公共の事業ではない”というのが現今(いま)の世論である。
それは時代が下した結論でもある。
あれこれ言い訳するよりも、
「これからは平和創造事業として展開していきます」と宣言することの方が鮮明で
新たな形で社会に受け入れられる可能性が高い。
“自衛隊人道復興支援の姿こそ土木技術者そのものである”
ことを社会に積極的に主張し、
<建設と平和>ということから平和のためということにトコトンこだわった施策(しさく)
を展開してみる。
そうすることで新しい時代の社会的共通理念が芽生え、
我々に魂を吹き込んでくれるものと信じている。

「両刃(もろは)の剣(つるぎ)」ということへの理解
十八世紀から二十世紀にかけて産業革命を達成した国々は、
それ以降も豊かさを求めて技術立国を目指してきた。
日本も先進工業国の仲間入りを果たすことに成功し、
今、我々はこうして豊かな生活を送ることが出来ている。
そこには“技術がすべてだ”といった掛け声があった。
地球環境破壊の反省から地球環境倫理が生まれたが、
<素(もと)の心>は“平和を願う心がすべて”である。
<平和都市建設の使命>を倫理とする建設コンサルタントは、
<平和の使者>であることを理解しておく必要があるように思う。
土木技術の対極にあるのが軍事技術。
「市民の生活を豊かにする技術」に対して「市民生活を脅かす技術」。
要は使い方次第だ。
一例として、GPSGlobal Positioning System)は
アメリカ国防総省が開発した軍事技術であるが、
市民生活向上のための測量技術として活用している。
「建設」か「破壊」か、の二者択一のなかで、
<平和のための建設>を使命にしているのが土木技術者なのである。

<商品としての街づくり>に必要なもの
これからの建設は「物を造る」という行為そのものよりも、なぜそれをそこに創るのか、
といった理念が重要視されてくることと思う。
「人間とは何か」をテーマとしたアテネオリンピックのオープニング・セレモニーで
人類史を振り返るなかでそのように感じた。
オリンピック競技では世界に通用するニッポンの勇姿に感動したが、思えば、戦後、
日本の電機メーカーや自動車産業は世界に冠たる商品の数々を送り出してきた。
そしてニッポンに多くの栄誉をもたらし、
国際競争時代を迎えた今日においてもトップクラスの地位を誇っている。
土木にとっての国際競争力とは何か。土木技術者がつくってきた商品とは何か。
日本政府は成熟化社会を迎えるにあたって、「観光立国」というヴィジョンを掲げているが、
二十一世紀は「街づくり」、「その国の暮らしぶり」が商品となる時代である。
まさしく、<商品としての街づくり>競争時代の幕開けである。
日本が「観光立国」として世界的地位を確立することが出来るかどうかは、
建設コンサルタントの生き方、感性にかかっている。
日本の魅力、日本人の魅力とは何か、を改めて問い直す必要もある。
有史以来、人類のテーマは平和であり、それはこれからも変わることはない。
日本が目指す<平和創造社会>を現し、それが世界に評価される時代。
日本文化はどこまで通用するのか。ギリシャ哲学に勝る哲学がニッポンにあるのか。
私は想う。おそらく、時折見せる時代の表情に感動できるかどうかにかかっている。
1
時間歩き続けて出会う風景と、走る中でしか出会えない風景がある。
その中から何を掴(つか)むか、である。
現今(いま)、キリスト生誕から数えて2004回太陽を転(まわ)り終えた風景がある
(注:キリスト生誕と西暦とのズレは承知している。西暦2004年を記しているにすぎない)

日本国建国から数えればプラス660回転。
オリンピックで4年に一度世界がひとつになれるが、
人類が本当に目指さなければならないのは、地球としてひとつになれるかどうかである。
時代を育む感覚を研ぎ澄ませ、地球の息吹を感じながら「人間とは何か」を追究する心。
それが<商品としての街づくり>に必要だと思う。

あとがき
新しい時代を迎えるにあたり、あらゆるものへの根源の問いかけが続いている。
国、政治、経済、企業、家族、命…。
それらを誘発させているのは「崩壊」という時代のシナリオである。
そして、
その一方では「再生」というもうひとつのシナリオも動き始めていることを忘れてはならない。
<再生>をよりはやく確かなものにしていくためにも
「愛」「勇気」「誠」「信念」「絆」「情」「汗」「涙」といったものの復活が望まれている。
夢と希望に満ち満ちた建設コンサルタント業、
平和コンサルタント業へと発展を遂げていくことを願いつつ
『私の意見』の執筆を了(おえ)ることとする。

平成162004)年9月 広島にて 



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